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2007年10月14日 (日)

喜蔵独り(七) 作、歴史侍

Kizoukanrenzu_2

服部は疾風の如く駆けていた。しかし真直ぐ美濃へ向かう体とは裏腹に、心はそこには無かった。
(領民の為などと・・、それが一体何になる。所詮人など独りではないか。愚かな民どもの為に、あたらおぬしほどの器量を捨てるかよ)
物心もつかぬうちに忍びとしての厳しい修業に耐え、己独りの才覚で生き抜いてきた服部には、人の為に生きるなど理解の外だった。

日本六十余州の野心家の思惑をよそに、関ケ原の戦いはたった一日で家康の勝ちとなった。
しかし大垣城は未だ落ちずにいる。
(このまま手柄をあげなければ、家康に怪しまれるな)
三成方としての布石も打っている為信は焦っていた。
「服部、どうにかならぬか」
「ならば今宵丑の刻、城の門を開けてみせましょう」
服部はやはり不敵な笑みを浮かべていた。

(続)

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コメント

喜蔵関連図、原画はもう少し大きいのですがブログではこれが限界でした。
いずれ歴史侍HPにて再掲します。

投稿: 歴史侍 | 2007年10月14日 (日) 09:15

独りも関連図もおもしろいね

歴史侍HPでは尾崎城をクリックすると
その写真と情報が見られそう

投稿: Nak | 2007年10月14日 (日) 18:05

ふふふふ、それもおもしろそうだな、
関連図拡大ナイスフォローでした。

投稿: 歴史侍 | 2007年10月14日 (日) 21:52

リクエストに応えて喜蔵関連図up下さりありがとうございます。小さくても携帯からも見れました♪

喜蔵の今後の活躍で関連図に載るエリアが拡大していくんですね!楽しみにしてます♪

投稿: 和装美人 | 2007年10月15日 (月) 08:22

****楽天からの転送です****

コミニティを探しながらの失礼です。
昔読んだ東日流外三郡史を思い出しました。
ご当地なのかかなと思いながら、
阿部氏という豪族の頭首が印象的でしたので、

投稿: hifuji1609 | 2008年2月20日 (水) 12:28

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